いじられる人は誰からも好かれる・モテる・人気者【愛のあるいじり】

どうも、きむ( @kimu_news)です。

愛のあるいじりを感じたことがありますか?愛のあるいじりをしたことがありますか?この2つの関係性が交わったとき、その場に「愛のある癒し」が生まれる。友人、会社仲間、趣味仲間などと食事をしたり、飲み会をしたりするときに、

  • いじる人
  • いじられる人

の2つのタイプの人間がその場の空気を作ることが多い。しかし、もう1つのタイプの人間も存在します。そのタイプは「いじらない、いじられないタイプ」です。

これは、私のことなんですが、このように誰にも相手にされず、いじることもできないタイプの人は、いじる人よりもいじられる人が羨ましいと感じることがある。

なぜかというと、愛のあるいじりを感じたことがないから。

愛のあるいじり

いじられる人は「いじめ」とは違う形のいじられ方をされ、この2つの大きく違う点は「愛」があるかないかです。いじめに関しては、ただ単にその人のことが嫌いだったり、憎しみからだったりと「悪意」からくるいじりです。(暴力、暴言など)

しかし、いじられる人はいろんな人からいじられるのですが、そのいじりには「愛」があるので、その場にいる人みんなが癒され、楽しむことができる。いじられる人も本心はわかりませんが、嫌そうな態度で接することはなく、いじりに対応してくれる。

このような愛を感じることは、私には全くない。

「羨ましい」と思う人はいるのか?

少なくとも私は羨ましいと思っている。みんなからいじられるということは、それだけコミュニケーション能力に長けていると思うし、これから先の人付き合いもどうにかなりそうですし。

逆に、私のような「誰からもいじられない人」は、その場で空気と化することが多く、いじることもなければ、いじられることもない。飲み会などでも孤立することが多く、みんなが楽しそうに話をしながらお酒を飲んでいる場で、一人空気と化しお酒を飲む。

これ、結構虚しいんですよね。まあ、私がコミュ障で自分から話しかけないのが悪いのですが、自分から話しかけたとしても、会話を頑張ってしまうので思うように自然に会話を続けることができない。

このような自分が嫌いになってしまうと、どうしても「いじられる人」が羨ましいと思うのです。

きむ
これ、私だけかもしれませんけどね。

いじられる人は人気者

いじられる人の周りには自然と人が集まりやすく、いじられる人を中心に話が進んでいくことがあります。いじられる人も愛のあるいじりだとわかっているのかそれに応える。

愛がある場を作ることが、いじられる人にはできるので自然と人気者になりやすい。人気者になると、職場や飲み会で「居てほしい」と思われる存在になります。

私の場合、人気者の逆「居て欲しくない」と思われているのか、友人同士は飲みに行っているのに、私だけ誘われないということは多々ありますからね。これに気づかなければいいのですが、気づいてしまった時の虚無感は半端ないですよ。

この件で気づいたことは、人気者は絶対に誘われているということ。やはり、いじられる人は人気者なんです。

私の場合、会社の飲み会でも「お前、こっち来いよ」「一緒に飲もうぜ」と言われることなく、隅っこの方でチビチビビールを飲んでいるだけ。そして、会費はしっかりと吸い取られる。

きむ
これをきっかけに飲み会に行かなくなった。

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なりたくてもなれない存在

いじられる人のような愛のあるいじりを受けられる存在って、自分からなろうと思っても慣れない存在だなと思います。もし、自分から「いじられ役になろう」と吐息込んだところで、それは「偽った自分を演じている」ことになる。

純粋にいじられる人は、いじられることを意識してその役に徹しているようには見えない。ありのままの自分をさらけ出せるスキルを生まれながらにして持っているように、私は感じます。

これに関しては、その人の性格によると思います。私のように中途半端な引っ込み思案(話しかけられれば元気だけど、自分からは話しかけない)なタイプの人は、いじられるタイプの人になろうとしたところで、不自然な自分を人にさらけ出すことになる。

そして、いきなり引っ込み思案な本当の自分を周りの人にお披露目してしまうと、びっくりさせることになり、「どう接したらいいんだろう」と、相手を困らせることにもなる。

いじられ愛されることも1つのスキルですし、そう簡単に手に入れることができないスキルなのです。

「人間」からモテる

人間からモテるのって、めちゃくちゃ難しいと思いませんか?私は人間からモテませんけど、なぜか犬や鳥などに好かれます。もはや、私は人間ではないのかもしれない(笑

きむ
ゴブリンとして生きていこかな。

いじられる人は人間からモテます。男女の垣根を超えてとにかくモテるんです。そこに「恋愛感情」はないかもしれませんが、違う意味でモテることもあるのです。

男として、女として見られないかもしれない。しかし、「人間」から愛される。この部分が非常に羨ましく感じてしまう。私は人間から避けられるタイプですし、避けられるのが怖いから自分から避けてしまうようになってしまったから。

私も一応人間なので、人間からモテたいという願望はあります。

ありのままの自分

いじられる人は初対面の人の前でも、そのままの自分を出すことができます。変に着飾らない接し方が初対面の人の心を開くきっかけになるんでしょうね。私も、このように着飾らない人が目の前にいると喋りやすいと思います。

逆に、私は着飾ろうとして、「喋り方に気をつけないといけない」「言葉選びには気をつけよう」「食べ方のマナーは大丈夫なのか?」と、余計なことを考えすぎてしまい、変に着飾った自分をさらけ出すことが多く、いじられる人のように関係性を広げることができない。

いじられる人は、私のような余計なことを考えていない。本当に自然体なので喋りやすいのです。

自分から目立とうとしない

いじられる人は目立っている印象がありますが、自分から目立っているのではなく、周りの人がいじっていることで目立っているのです。自分から目立とうとしなくても目立てる存在ということですね。

飲み会に初対面の人が混ざっている場合、名前と顔を覚えてもらいやすく初対面の相手からも話しかけてもらいやすい存在でもあります。この謙虚な姿勢もいじられる要因なのかもしれませんね。

完璧じゃないところに癒される

犬、猫などのペットを見ているだけで癒される人は多いと思います。ペットはドジな行動をしたり、単純な行動をしたりと人間の心を癒してくれる存在ですが、いじられる人も完璧ではない隙のある行動をするから、みんなから愛されやすいのです。

中にはペット感覚で接している人もいると思いますよ。人間がペットをいじり、その反応に癒されるわけで、いじられる人も、人間のいじりに反応して愛されるのです。

まとめ

いじられる側の人からすると「ちょっとうっとうしいな〜」と思うこともあると思いますが、いじられない側の人間からすると、羨ましい限りでしかない。そもそも、人間という生き物から避けて生きるようになってしまうことになりますから。

まあ、これは私のことで、私自身が人間を避けているから人間との接点をなくなったのですが、たまには飲み会くらいは行きます、その時、孤立している自分を客観的に見ると虚しくなるんです。

そして、いじられる人が羨ましいと思うことがあるんです。そして、孤立している私に気を使って話しかけてくる人に対して、なぜか申し訳ないなと思ってしまうようになり、より不自然な会話になってしまうこともある。

いじるわけでもなく、いじられることもない。どっちつかずの人間になってしまうと、私のように人間から離れた生活をすることになる。(かもしれない)

このような生活をしていると、もちろん人間からの愛のあるいじりを味わうこともないし、愛のあるいじりをすることもできない。ただ、私が愛に飢えているだけかもしれないな・・・(笑

誰かいじってください!

ABOUTこの記事をかいた人

思いつきで会社を辞めて、いきなりアフィリエイトの世界に飛び込んだ変態。パソコン、アフィリエイトのスキル0からでも、なんとかなっている。現在はブログ更新を楽しんでいる。ブログ内のイラストは全部自分で描いています。一応、法人として活動中。