親が離婚して再婚後父が亡くなる|子供の気持ちと与える影響

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どうも、きむ( @kimu_news)です。

結婚、離婚、再婚。3種類の「婚」の形がありますが、形によって心境は全然違います。私の父は、この3つを経験しています。

離婚、再婚することで、子供はどんな気持ちになっているのか?再婚することで子供はどう思うのか?普段はふざけている私ですが、今回は少し真面目な話です。

子供の頃の生活

私の家族は父母姉私の4人家族。私が小学生の頃の生活は、ほとんど1人で過ごしている時間が多かった記憶があります。

父の仕事が夜勤の仕事だったので、夜家にいないこともあり、その時間を狙って母はスナックで働いていました。(ほぼ遊んでいたと思う)

姉は部活で夜遅くなることばかりでしたので、それまでの間は私は家で一人、アニメを見たり、ゲームをしたりする毎日。

まあ、ゲームやり放題と喜んでいた時もありましたが(笑

こんな感じの生活が私が高校生になるまで続きます。

親が離婚した時のこと

こんな生活が続く中、親の関係が徐々に悪くなっているのが、なんとなくわかっていました。ここからの3年間は、私にとって非常に濃い時間になることに。

私が16歳の時の親が離婚する

私が16歳の時に、母がいなくなる日が多くなりました。どこに行っているのかはわかりませんでしたが、突然いなくなるのです。

そしてたまに帰ってくるという謎の生活。まあ、察しがつくと思いますが、相手がいたのかもしれません。

確かめていないのでわかりませんが。こんなことが続くうちに「離婚」というワードが家族間で飛び交うように。

当時の私は小学生の時と同じで、ゲームのことしか頭になかったので、親の離婚に関心がありませんでした。

「どうせ離婚しないだろ〜」という軽い感じで受け取っていたので。

郵便ポストに緑色の紙が入っていた

離婚の話が出てきだしたくらいに、母は完全に家に帰ってくることはありませんでした。

どうやって父と母が話し合ったりしていたのかはわかりませんが、ある日、郵便ポストに緑色の紙が入っていました。

離婚届の紙です。その紙に母の名前と印鑑が押されていただけ。「なんか本格的になってきた」と、ここで思いました。

両親の離婚を止めようとはしなかった

本心は離婚して欲しくなかったですが、止めようとはしませんでした。当時、こんな状況を打開する案なんて思いつくこともできませんでしたし、考える力がなかったので。

離婚する直前、私が1人の時間を狙っていたのか(父が夜勤の時)、母がカレーの具材を買って、家に帰ってきました。

この時、「離婚の話がなくなったんや!」と心の中で喜びましたが、そんな甘くはありません。普通に会話して、一緒にカレーを作って、私だけがカレーを食べていましたが、その食べている最中に、母はまた消えてしまいました。

カレーを作っている姿が、私が見た母の最後の姿です。追いかけようともしませんでした。その後離婚することに。

その当時、はっきりと理由は聞かされなかった

何がきっかけで離婚したのかの説明はありませんでしたが、なんとなくですが子供はわかっています。

決定的なことはわかりませんが、普段の生活を見ていれば、わかります。親の行動を子供はしっかりと見ていますし、何かを感じています。

まあ、未だに何が原因で離婚したのかは、はっきりしませんが、いろんなことが積み重なった結果だと思います。

子供としては、はっきりと説明して欲しかったですが、聞いたとしても楽しい話ではないので、聞きたくもないとも思っていました。

親が離婚することは、子供の気持ちも、ぐちゃぐちゃになってしまうということです。

父親の元で生活することに

母の行方がわからないので、そのまま父の元で生活することに。姉が料理をすることが好きだったので、料理担当は姉がすることに。

私は風呂掃除など、主に掃除がメイン。父は謎に洗濯にハマったので、洗濯物ばかりしているイメージがありましたね。

離婚前、一応母が家事をしていたのですが、ここで、父が家事ができる人なんだと初めて気がつきました。

私が学校に持っていく弁当は、父がコンビニの弁当を持たせるのはかわいそうと、気を使ってくれたのか、コンビニ弁当を弁当箱に詰めてくれていました。

些細なことでしたが、父の優しさ伝わりました。当時、この生活がずっと続くと思ってた…。

母親に捨てられた感はなかった

家事に関しては、なんとかなっていましたが、何か物足りない感はありましたね。気を緩めると、いなくなった母のことを思い出す時間はありましたから。

スナックによく行く母でしたが、私にとっては母ですからね。

親が離婚してから母とは1度も会っていない

上記でも言いましたが、カレーを作った姿を見てからは、母とは1度も会っていません。姉は連絡を取ったり、母に会ったりはしていたみたいですが、私は会うことはしませんでした。

姉が言うには、母はアパートで一人暮らしをしていたらしいです。テレビの近くに、子供の頃の姉と私が写っている写真があったとのこと。

カレーを作りに来た時に写真を取りにきたのかも。

親が再婚した時のこと

16歳の時に親が離婚したのですが、父が再婚相手を探していることがわかりました。私的には3人でも生活できると思ったのですが、父は再婚する気満々でした。

離婚してから1年後くらいに再婚

離婚してから1年くらいたった後に、父が再婚することに。何度か私の家に来たりして、話をしたり、ご飯を食べたりしていたので、どんな人かはわかっていましたが、いきなり他人同士が一緒に生活できるのかは不安でした。

そんな不安がありながらも、再婚して、新しい家族「5人」で生活がスタートすることに。

新しい母と弟ができる

父が再婚したことで、新しい母と弟ができました。この時、弟は小学3年生。私と7歳も年の差があり、人懐っこいのと、お互いゲームが好きだったので、(当時の私の脳みそは小学生レベル)なんとかはなっていました。

新しい母とも普通に話すことはできますし、なんとか生活はできていましたね。基本、私は部屋に閉じこもっていてばかりだったので、そんなに話したりしていませんでしたが。

当時、新しい母と姉がすごく仲が良かったので、それはそれで面白かったのですが、私だけ、なんか自然体でいることができなくなりました。

家族のはずなのに、気を使うことが多く、常に緊張状態になっていることも。その緊張をほぐす方法がゲームしかありませんでした。小学3年生相手に緊張していましたから。

流れに身を任せているだけ

気を使いながらも、流れに身を任せているだけの生活を続けていました。まあ、私が勝手に緊張しているだけで、母と弟はなんも悪く無いですから、嫌とも言えませんし。

高校の友人などにも話したらいいのか迷っていましたが、何かきっかけがない限り話さないでおこうと決めました。(1年後くらいに言った)

変に気を使わせるのも、友人に悪いですし、普段通り楽しくふざけていたかったので。本当に流れに身を任せている状態です。

新しい家族との仲は意外と悪くない

当時、新しい家族との生活は、私個人としては、順調だと思っていました。母と弟はどう思っていたかわかりませんが、まあ、なんとか生活はできていました。

初めは不安だらけでしたが、慣れればなんとかなるもんですね。新しい母は家事をめちゃくちゃしっかりしてくれていましたし、弟に関しては、やんちゃなところはありましたが、小学生なので、別に気にはなりませんでした。

姉に関しては、父とよく喧嘩をするようになっていましたね。姉は逆に新しい家族側につくように。

父は孤立し、私は両側にうまいことすり寄っていくという、なんともせこいポジションですが、また、家庭内がギクシャクすることに。

突然姉が家出する

父と姉が些細なことで、よく喧嘩するようになってから、どれくらい経ったかは覚えていませんが、今までにはないバトルが突然始まることに。

再婚する前から、たまに喧嘩することはあったのですが、今回はレベルが違いました。殴り合いの喧嘩で、姉はスポーツをしていたこともあり、ガタイが良かったので、男同士の喧嘩のようでした。

気がついたら、部屋の壁には血がついていたり、穴が開いたりとし、姉がものすごく騒いでいました。そして、そのまま家を出ていきました。

突然、姉が家出をする形に。母と弟はかなり驚いていました。私は家族がまた1人減ってしまった感が強く感じたのを覚えています。

私が高校2年の時くらいに起きた出来事です。

突然父が亡くなる

家族「4人」での生活がスタートして2年が経ち、私も19歳になり、工場で働いていました。この頃になると、自分で使えるお金が増えたことで、遊びにいくことが多くなったので、私が家にいる時間は少なくなっていました。

まあ、こんな生活を続けていたわけですが、ある夜、次の日が仕事だったので寝ていたら、母から「病院から連絡があった。父さんが倒れたらしい」とのこと。私は寝ぼけていたので、その話を聞いてもまだ布団の中。

母がいつもと違う様子だったことに気づき、母と2人で急いで病院へ向かうことに。病院に着くと、父がベッドの上で横たわっていました。

心電図がピーと鳴りだしたことは、忘れることができません。父が亡くなった日は、父の誕生日。この時、私は泣く余裕すらありませんでした。

また、家族が一人減った。その夜、姉に連絡して、姉も病院で合流することに。姉は喧嘩別れをしたことを悔やんでいましたが、それを伝えることは、もうできない…。

家の近くのコンビニで

病院の人の話によると、父は家の近くにあるコンビニで突然倒れたところを、近くにいたお客さんに救急車を呼んでもらったと言っていました。

一体コンビニに何を買いに行こうとしたのかは、わかりませんが、私が家で寝ている時に、コンビニで父が倒れていたということ。

そして、近くのコンビニに救急車が来ていたはずなのに、気づかなかったこと。いろいろ考えてしまいましたが、父が戻ってこないことは事実。気がついたら1人で、そのコンビニの店員に一言挨拶に行っていました。

喪主の意味がわからなかった

父が亡くなったことで、いろんな事が進んでいくことに。葬式のことやお墓のこと。この辺はなんとなくわかりますが「喪主」が何なのか全くわかっていませんでした。

この時、母側の親族も来ていたのですが、喪主の話になった時は、私が長男だからやることになっていました。

喪主がなんなのかわかりませんでしたが、引き受けることに。葬儀の流れなどを決めることになったのですが、喪主がなんなのかわかっていない私がしても大丈夫なのかと、思っていました。

父側の親族は私の家から離れた所に住んでいるので、少し遅れて到着。無事に葬式を終えることができましたが、それよりも、この先のことが不安でたまりませんでした。

残されたのは私と新しい家族(母と弟)

再婚してから約3年で、父が亡くなったのですが、この先どうやって生活していくのかが、全くわからない状態でした。

姉は違うところでの生活があって、私のところに帰ってくることは難しく、とりあえず私と母と弟の「3人」で生活していくことに。

父の遺産に関しては、綺麗に4等分することにしました。そんなことより、この家族は私が養っていかなければいけないのかと考えていました。

父の両親や親戚から誘われる

父が亡くなったことで、父の両親や親戚が私のことを心配していました。遠回しにですが、私を父の地元で暮らすように言ってくることも。

私はもともと、そのつもりはありませんでしたし、父が残した家と家族を放って置くこともできなかったので、このまま生活していくことに。

父の亡くなった後、借金が発覚

父が亡くなった後、父に借金があったことが発覚。その額は約300万円。私はこの借金について知らなかったが、姉は知っているような感じでした。

父が借金を作ったのではなく、前の母が作った借金とのこと。父の名義で借金をしていたそうです。

この借金は父の遺産があったので、返済することはできましたが、母にとっては追い討ちをかけるように、心のダメージがあったのではと思っています。

3人での生活が始まる

3人での生活が始まるのですが、まあ、みんな普通に生活をしていました。弟は学校へ行き、私は仕事をして、母は家事をする。

当たり前のような生活をしていましたが、なんか私だけが取り残されていると、自分で勝手に思うこともありました。

はっきり言ってしまうと、私と母、弟とは血が繋がっていないわけですし、父がいなくなった今となっては、一緒に暮らす必要はあるのか?

こんな感じで、いろいろ考えてしまうことが、日に日に多くなっていました。

いつか2人がいなくなる覚悟はしていた

こんなことを考えているうちに「そのうち2人が家からいなくなる」と思うように。マイナス思考になってしまっていることもあり、このようなことを考えることもありました。

実際、母とそんなに会話もするわけでもないし、ただ一緒に暮らしているだけの感覚だったので。母と弟は仲が良かったので、リビングでよく話をしていましたが、私は、相変わらず部屋にこもっていました。

この時、2人がいなくなる覚悟をしていました。私も働いていたので、1人で生活することができるし、なんとかなるだろうと。

ずっと家にいてくれた

私は仕事から家に帰る時、ずっと怯えていました。いつか2人がいなくなると勝手に思い込んでいたので、家に母がいるとホッとする毎日。

家に帰るだけがこんなにしんどいと感じたことはありませんでした。まあ、これは私が勝手に思い込んだだけですが、思い込みの怖さをここで知ることが出来ました。

現在の家族仲について

現在、30過ぎのおっさんになりましたが、家族間の仲は良好。この母なら、この家を任せられると思い、私は1人暮らしをしています。

弟も社会人になったので、自分の好きなように生きています。弟が社会人になった事で、母も肩の荷が下りたのでしょう。

家事もある程度手抜きをすることができ、自分の時間がを作れるようになったので、3人が自分の時間を楽しんでいます。

たまに3人集まってご飯を食べに行くことも。3人で旅行に行く計画を立てたりもしていますね。

姉に関しては、まだ遠くで生活しているみたいですが、たまに連絡はしているので、まあ、なんとか生きているのは確かです。

親の離婚、再婚は良い人生勉強になった

親の離婚、再婚、姉の家出、3人での生活、父が亡くなることを経験して思ったことは、通常の家庭では経験できない勉強ができたということ。これは学校で教わることができませんし。

まあ、この勉強はできればしないほうが幸せなのかもしれませんが、私にとっては、この勉強ができたことは幸せだと思っています。

生みの母親のことに関しては、現在も不明のままですが、病気がちだったので、ひょっとしたらと考えてしまうことも。

今でも捨てられたとは思っていませんし、生きているのであれば、楽しんでいればいいと思っています。

不仲の親を見る子供は毎日がしんどい

離婚する間際の家庭環境が1番辛かったのは、よく覚えています。この時、親同士もかなりストレスを感じていると思いますが、子供もストレスを感じています。

毎日のように喧嘩している姿を見ると、家にいたくなくなることもありましたから。喧嘩している声も聞きたくなかったので、耳栓をしていたこともあります。

親同士が辛くて大変だと思いますが、喧嘩するたびに、子供の心が痛んでいるということも、私自身が感じたことです。

母がスナックに逃げたくなる気持ちも、なんとなくですがわかっていました。父が母に手をあげることがあったので。

離婚、再婚することは悪いことではない

個人的にですが、離婚も再婚も悪いことではないと思っています。離婚に関しては特にマイナスなイメージがありますが、子供にとって悪いことでもない場合もあります。

私のようなケースは稀かもしれませんが、中には人として成長するきっかけになる場合もあるので。

親が離婚することは、子供にとってかなり辛いことですが、それよりも親同士が毎日のように喧嘩しているところを見ているほうがよっぽど辛いです。

私の場合は恵まれている方かも

私の場合、16歳と物事をある程度考えられる年齢で、親が離婚したのでよかったのかもしれません。これが小学生くらいの時だったら、心にダメージを受けていたことは間違い無いですね。

この前、なんかのテレビで孤児院の特集をやっていたのですが、この子達の方が私よりもはるかに過酷な人生を歩んでいると感じました。私はまだ恵まれている方です。

なんとかなる

何か辛いことがあっても、「なんとかなる」と思うようになりました。実際になんとかなっていますし、普通に生きているので。

できるだけマイナスなことは考えずに、無理してプラスに考えることもしません。なんとかなる。曖昧な言葉ですが、これだけで心を落ち着かせることができます。

実際、不安に感じていた「3人」での生活もなんとかなっていますし、家族としての繋がりもあります。案外なんとかなるもんですね。

父の言葉

父が離婚した時くらいに、楽しいと思うことでも「続ける」ことは難しいと言ったことを覚えています。

確かに、美味しいものでも永遠に食べ続けることはできない。なんでも続けることって難しいことなんだなっと30過ぎても実感しています。

私は、この父の言葉は、忘れないようにしています。「楽しいことを続ける」。これは、仕事よりも難しいことだと私は最近気づくことができました。

父は結婚生活を続けることができなかったわけですが、私に同じ思いをさせないために、このことを教えてくれたのかもしれません。

最後に

現在、私の家にウイスキーが置いてあります。しかし、私は一切飲んでいません。このウイスキーは、父が生前よく飲んでいたものです。

このウイスキーは私にとっては必要なものであって、飲んではいけないものです。10年以上保管していますが、この先も捨てずに保管します。

私は父とお酒を飲んだことがありません。今となっては無理なことですが、父が亡くなった当時の年齢まで、私が生き残ることができたら、父の誕生日に私1人でお墓にウイスキーを届けに行きます。

今すぐ届けることはできます。

しかし、条件があった方が、「お互い」先の楽しみができるので。その時、ウイスキーが飲める状態かはわかりませんが、私は無理やり飲みますし、父にも無理やり飲んでもらいます。まあ、なんとかなるでしょう。

母に関しては、私には2人の母がいるからラッキーみたいな感覚です。いい勉強をさせてもらいましたし。

生みの親と育ての親。私には「2人」の母がいることが自慢です。血のつながりのことを考えたこともありましたが、血のつながりなんて関係ありません。

肉親の心の中を知ることすら難しいのですから、血の繋がりなんか気にしていたら、一緒に暮らすことなんてできません。

「素直」になることって難しいですね。私が生きてきた中で思ったことです。特に喧嘩している時に素直になることができる人は、すごいと思います。

非を認めるのもある意味1つの力。自分の非と相手の非を認めることの難しさ。その2つの非を受け入れる器の大きさ。

これらを手に入れるのは簡単なことではありません。これらが難しいということを、学ぶことができました。

いろいろありましたが、誰になんと言われようが、私にはたくさんの家族がいることを誇りに思います。

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ABOUTこの記事をかいた人

思いつきで会社を辞めて、いきなりアフィリエイトの世界に飛び込んだ変態。パソコン、アフィリエイトのスキル0からでも、なんとかなっている。現在はブログ更新を楽しんでいる。ブログ内のイラストは全部自分で描いています。一応、法人として活動中。