どうも、きむ( @kimu_news)です。
私は、もともと工場勤務をしていたのですが、「会社を辞めたい」という理由だけで会社を辞めました。
現在は、アフィリエイトで収入を得ていますが、今思うと、工場勤務時代のつらいこと、楽しいことを思い出すことがありますね。
そんな、私の工場勤務時代はどんな感じだったのか?
目次
みんな同じ趣味
工場に入社して思ったことが、みんながみんな同じ趣味を持っているなと感じましたね。
- ゴルフ
- スノボー
- サーフィン
- 釣り
- モンハン
など、いろんな趣味のグループがあり、私もサーフィン以外は全て経験しましたね。
特にモンハンはハマりすぎて、みんなが集まってこそ楽しいゲームなのに、私は常にソロプレイ(笑
ゴルフ、スノボー、釣りに関しては、とりあえずやっていただけで、そんなにハマることはありませんでしたね。
みんなの話に合わせるためにやっている感じ。
みんな同じことをしようとする
工場にはいろんな人がいますが、みんな同じようなことをしたがるんだな〜と感じました。
私もその一員でしたが、今思うと本当に自分がしたいことをしていなかったと思いますね(モンハン以外)。
みんながやっているから自分もやる。
とにかく、みんなの輪に入れるように必死になっている時期もありましたが、「1人で空回りしているだけかも」と心の中では思っていましたね。
「意外と自分は繊細なんだな」と…。



話題性の狭さ
私が勤務していた工場は、一応一部上場している会社だったので、それなりに社員の人数も多かったのですが、多い割には話題の幅が狭いな〜と感じていました。
工場での出来事
「機械のトラブル」「誰かが大きなミスをした」「誰かが出世した」というのは、私が働いていた工場ではよくある話。
というか、ほとんどがこのような話ばかりだった気もしましね。
みんなが共感できる内容の話なので、盛り上がれるのはいいのですが、誰かのミスで盛り上がってしまうのは、個人的には好きではありませんでしたね。
パチンコ、スロットの話
パチンコ、スロットの話ができれば、誰とでも話が合うというと言い過ぎかもしれませんが、それくらいの割合でギャンブルに熱中している人が多かった。
私も「話を合わせるため」にギャンブルをしていた時期もありましたが、ケチな性格には合わなかったのか、ハマることはなくスッパリやめることに。
話を合わせるために「何か」をする
自分から「〇〇したい!」と趣味などを始めている人もいましたが、話を合わせるために始めた趣味を持っている人も中にはいたと思います。
私は、かなり少数の人にしかわかってもらえない「バイク」を趣味にすることで、少しは「自分らしさ」が持てたかな〜と思いつつ、ほとんど1人でバイクでどっかに行っていましたね。
「仕事でもゲームでもバイクでもソロプレイが大好き」と、この頃気がついた。


仲良しグループを作る
会社という大きな箱の中でたくさんの人が仕事をするわけですが、いくつかの仲良しグループに分かれていることにも気づきました。
私は、常に孤立していたので、「あの人はあのグループ」と、謎にグループ分けをしていることも(笑
だいたい同じ部署の人と仲良くなっている人が多いですが、中には、いろんなグループに参加している人もいましたね。
私には、そんなフレンドリーなことできませんよ。
こんな感じで、仲良しグループがある会社って結構多いのではと思います。
これが「協調性」なのか?
仕事を手伝う時って、仲良しの人を優先に手伝いたくなってしまいませんか?
その方がお互い楽しく仕事でしきますし、手伝う側もそれほど苦に感じませんから。
けど、本当に困っている人がいる場合、仲良くなかったら助けないというのはどうなのかと…。
仲がいい人は助けて、あまり仲良くない人は助けないということは「協調性ある」と言えるのか?
改善提案は形だけ
私が働いていた工場だけだと信じたいのですが、改善提案は形だけであって、本当に改善されていなくてもとにかく書いてノルマを達成するという「儀式」的な感じになっていましたね。
私だけと思いますが(笑
ノルマを達成しないと、成績に響いてくるのですが、私はあまり気にしていませんでした。
ただ、上司の方がやたらうるさかったので、仕方なくという感じ。
QCサークルから逃げまくる
QCサークルを上司からやってくれと頼まれても平気で断り続けて逃げまくっている時期もありましたね。
「お金がもらえないことに自分の時間を売りたくなかったから」と、当時は思っていたので。
あと、QC活動している人たちの目はいつも死んでいるので、そんなの見たらやる気にはなれません。
班長から降格した人たち
班長から降格した人を何人も見てきましたが、降格前より降格後の方が解放された感があって、逆に元気になっていました。
部下、上司からの板挟み状態から解放され、ただ、作業すればいい立場の方がよっぱど精神的に楽になったのだと思います。
これを見た後輩たちは余計に班長、係長へと出世したいと思う気持ちは薄くなってしまう。
この頃、自分に出世欲がなくてよかったと思っていました。
まあ、出世欲があったとしても出世できなかったと思いますが(笑



骨折しても作業する
「話を合わせるため」のスノボーをしている時に、右手首を骨折をしてしまったのですが、その後の状況が面白かった。
当時の仕事内容は、2人1組で仕事をする内容だったのですが、私とペアを組んでいた人が数日前に入ってきたばかりの派遣社員。
上司は「派遣社員のサポートしてくれればいい」と言っていたものの、その派遣社員は、まだ覚えている最中の人なので、当然生産性はガタ落ち。
次のライン工程に間に合わないのでは?これって残業で間に合うのか?と考え、昼からは、ギブスをはめた手で作業を始めた。
案外慣れると痛くなかったので、そのまま作業を続けていたのですが、心配をしてくれるような優しい人は0人。
というか、上司に「お前本当に骨折しとんのか?」と謎に疑われる始末(笑
まあ、私が骨折しなければいいだけの話ですね。
ギブスに落書きして、いじってくれた人がいたのが救い。
派遣社員をやめさせる
社員4割、派遣社員6割という割合で工場が成り立っていたのですが、なかなか派遣社員の人が定着することがなく、生産性が安定しないことばかり続いていた時期が多かったのを覚えています。
「一週間以内に覚えてもらわないといけない」など、やたらとプレッシャーをかけて作業を覚えさせる上司もいましたが、「そんなプレッシャーを与えたら、またやめてしまうのでは?」と思うことも。
派遣社員の中には、毎日イライラしながら仕事をしている人もいましたからね。
- 新しく派遣社員が来る
- 教える
- プレッシャー与える
- 休みがちになる
- やめる(やめさせる)
- 新しく派遣社員が来る
これのループ。
教えている時間の方が長いので、生産性は安定しない。
工場自体も荒れ荒れの状態で、何か叫んでいる人もたまにいた。
こんな環境では派遣社員は次々とやめていくだろうなと思っていたのですが、気がついたら、私自身がやめていた…(笑
まとめ
自分の書きたいことを書いただけなので、自分でも皆さんに何を伝えようとしているのかわからない記事になってしまいましたが、工場勤務時代はつらくもあり楽しくもあった時代ということです。
ここの工場で働いたことによって自分を少しづつ変えていくことができたので。
また、アフィリエイトを始めるきっかけにもなりましたからね。
上司は上司で大変だろうし、部下は部下で大変。
会社の中には、いろんな人のストレスがムンムンと充満している。
その中で仕事をすることでお金はもらえる。
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と思っていたが、視野を広げるといろんなお金の稼ぎ方があることに気がついた。
現在は、家に引きこもってブログ更新したりすることで収入を得ている。
これはこれで大変なのですが、「やりがい」という部分では、工場勤務時代よりかは、はるかにありますね。
当時、工場勤務は最悪と思っていましたが、今となっては必要な時代でもあったかなと思いますね。
以上、きむの工場勤務時代のお話でした。